ハウスホーファー

ハウスホーファー

カール・エルンスト・ハウスホーファー(Karl Ernst Haushofer, 1869年8月27日 - 1946年3月13日)はドイツの地理学者である。地政学(Geopolitik)を唱え、またナチ党の政策を支持したことで知られている。

経歴

ミュンヘン出身。学者の家に生まれ、ギムナジウムを修了した後にバイエルン陸軍に入った。1887年に第一野戦砲兵連隊に入隊し、1889年に少尉に任官する。1895年から2年間にわたってバイエルン陸軍大学校で学び、1903年には戦史教官として同大学校で学生に教え始めた。1908年に駐在武官として日本に赴任し、日本陸軍の砲兵を指導した。帰国の際には朝鮮、満州にも立ち寄っている。帰国後も陸軍大学校の教官に復帰していたが、健康を害して軍務を続けることが難しくなった。1912年に現役を退き、1913年にミュンヘン大学で日本の軍事力に関する研究成果により博士号を取得した。1914年に第一次世界大戦が勃発すると招集され、西部戦線で旅団を率いたが、戦後は陸軍少将の階級で退役した。戦後、地政学に対する研究を本格的に始め、ミュンヘンで創立されたナチ党で学生部を率いていたルドルフ・ヘスと親密になり、彼を通じてアドルフ・ヒトラーとも交流を持った。

ナチ党が政権をとった1933年にミュンヘン大学で政治地理学教授に着任し、1934年にドイツ学士院総裁に就任している。1939年に第二次世界大戦が勃発し、ドイツがイギリスとの講和に失敗しながら、独ソ戦に乗り出したことに批判的だったため、ヒトラー政権との関係は悪化した。1942年から公の場に姿を見せることはなくなっていたが、1944年のヒトラー暗殺未遂事件では関与が疑われたために監視されるようになった。終戦後、連合国のニュルンベルク裁判で起訴される恐れがあったが、十分な証拠がなかったために起訴されなかった。1946年3月10日から11日にかけて妻と共に自決した。ハルトシンメルホーフで死去。

著作

ハウスホーファーの著作は当時のドイツだけでなく、日本でも大きな関心を呼び、地政学という言葉を定着させる役割を果たした。国境を越えて拡大された政治的、経済的、文化的な勢力圏を表すパン・リージョン(Pan-region)という用語を導入したことでも知られているが、ハウスホーファーの地政学は今日では研究の基礎として参照されるよりも、学説史において批判的に評価されることが多い。

  • ハウスホーファー『太平洋地政学:地理歴史相互関係の研究』日本青年外交協会研究部訳、大空社、2005年
  • ハウスホーファー、マウルほか『地政治学の基礎理論』玉城肇訳、科学主義工業社、1941年(入手困難)