ベレンホルスト

ベレンホルスト

ゲオルグ・ハインリヒ・フォン・ベレンホルスト(Georg Heinrich von Berenhorst, 1733年10月26日 - 1814年10月30日)はプロイセンの陸軍軍人、軍事学者である。

経歴

ザンデルスレーベン出身。プロイセン陸軍の改革で多くの功績がある軍人であり、またアンハルト=デッサウ侯でもあるレオポルト一世の私生児として生まれた。ハレの駐屯地にあった父の歩兵連隊に入隊し、軍人としての道を歩みだした。七年戦争においてはハインリヒ公の副官として従軍したが、1760年にフリードリヒ二世の副官に選ばれた。しかし、1762年には副官としての職務を退き、その後はアンハルト=デッサウ侯国へ戻り、それからフランス、イタリア、イングランドを旅行して見聞を広めた。1790年からは本格的に研究生活に入り、『戦争術についての省察(Betrachtungen über einige Unrichtigkeiten in den Betrachtungen über die Kriegskunst)』(初版1796年、2版1798年、3版1799年)などの著作を発表している。ハインリヒ・フォン・ビューローとも緊密に交流しており、当時のドイツにおける軍事学の研究動向において重要な役割を果たしている。デッサウにて死去。

著作

ベレンホルストの軍事思想の特徴は、戦争においては人為的に統制できない精神的要因が重大な影響を及ぼすことがしばしばあることを強調し、体系的、形式的な戦争術の定式化の有効性を批判したことにある。ベレンホルストはアントワーヌ・アンリ・ジョミニが戦いの基本原則を唱えたことが注目された際にも、その研究の妥当性を疑問視した一人である。主著は『戦争術についての省察』だが、翻訳されていないため、調査のためにはドイツ語の原文に当たることになる。