近代の軍事学を作り上げた10冊の古典を紹介する

近代の軍事学を作り上げた10冊の古典を紹介する

1815年に終結したナポレオン戦争から1945年に終結した第二次世界大戦までの130年で軍事学の研究は大きく前進しました。その多くは現代の研究者にも参照されていることからも分かるように、この時期の研究成果で軍事学は基礎を固めたと言えます。今回の記事では、特に影響が大きかった軍事学の古典的な著作を10冊厳選して紹介してみたいと思います。

1 クラウゼヴィッツ『戦争論』(1832年)

19世紀のプロイセンの軍人クラウゼヴィッツの『戦争論』は、出版された当初は十分に内容が理解されることが少なく、学界での影響は限定的でした。しかし、プロイセンを中心にその価値が認識されるようになり、19世紀末までに古典として国外でも広く知られるようになっていました。

クラウゼヴィッツの軍事理論の最大の特徴は、戦争を政治の道具と考えることであり、あらゆる戦争の目的は政治によって規定されるものであって、その成否は政治の観点からでなければ判断することはできないと主張したことです(なぜ戦争を研究する人々は政策によって戦略の成否が決まると考えるのか(note) を参照)。さらにクラウゼヴィッツは、戦争を純粋に軍事的な観点から分析することはできないという立場をとり、あらゆる戦争に共通して適応ができる戦いの原則があるという見方を批判しました。戦争の研究は政治から始めなければならず、戦略は政策によって規定されるというクラウゼヴィッツの考え方は、一部の研究者から批判されることもありましたが、今日に至るまで軍事学の研究者に広く支持されています。軍事学を本格的に学ぼうとするならば、避けて通ることはできない一冊です。

『戦争論』はすでに日本語に翻訳されています。ちなみに、クラウゼヴィッツの業績は『戦争論』だけではありません。ナポレオン戦争に従軍していた間に、軍事学の教育資料が残されており、本稿の著者が翻訳しています(クラウゼヴィッツ『戦争術の大原則』)。

2 ジョミニ『戦争術概論』(1838年)

ナポレオン戦争で皇帝ナポレオンが率いるフランス軍に加わり、彼の戦争術を間近に見た軍人ジョミニは戦後に『戦争術概論』という著作で、軍事理論の体系化を試み、多くの研究者に影響を与えました。現代の軍事学ではクラウゼヴィッツほど参照されることはなくなりましたが、軍事作戦の基本原則を体系化する「戦いの原則」の研究では依然として影響力があります。

ジョミニの軍事理論の特徴は、ヨーロッパの列強を圧倒したナポレオンの戦争術を基礎づける原則を分析し、それらを体系化する理論を提案したことです。ナポレオンは自分の軍事理論を著作としてまとめませんでした。彼が書き残した文章をまとめた『ナポレオンの軍事箴言集』が編纂されているにすぎなかったのです。ジョミニはいわばナポレオンに代わって彼の軍事思想を広める役割を果たしました。『戦争術概論』で示されたナポレオンの軍事理論、特に戦略的包囲に対する考え方は、多くの研究者の関心を集めました。

ジョミニの解釈によれば、戦略的包囲は敵軍主力を後方の基地から遮断するように機動することによって、敵が意図しない決戦を行うことを可能にする戦略です。要塞や都市を攻略するのではなく、敵軍を撃滅することを追求した戦略として重要な意味がありましたが、この戦略を絶対的なモデルと見なすことに対しては批判も加えられています(現代の軍事学者が考えるジョミニの研究の4つの問題点 )。『戦争術概論』は以前に抄訳が出ています。最近、戦略の研究に関する章の新訳が出ました(今村伸哉訳『ジョミニの戦略理論』芙蓉書房出版、2017年)。

3 モルトケ『大部隊指揮官のための教令』(1869)

19世紀のプロイセン軍人モルトケの『大部隊指揮官のための教令』は学問的な著作というよりも、実務的な教範です。しかし、この著作の中で打ち出されている軍事思想には19世紀の軍事学の常識を打破したものが多く、ナポレオン戦争から第一次世界大戦までに登場した軍事思想家の業績の中で特に大きな価値がある古典です。

モルトケの軍事理論の意義は、刻々と状況が変化する近代戦で軍隊が効率的に戦うためには、各級指揮官が上官の意図や状況の特性を踏まえつつも、可能な限り自由に自分の兵力を使用して作戦を遂行できることが重要だと主張したことでした。ナポレオン戦争までは、数十万名を超える大規模な軍を一司令官が指揮する場合、宿営や行軍に多大な時間と労力を要しました。モルトケは、より迅速かつ効率よく機動展開するためには、軍司令官から小隊長に至るまで各級指揮官がそれぞれの状況に応じて柔軟に指揮をとる能力が必須であることを論じたのです(モルトケが語る訓令戦術(Auftragstaktik)のエッセンス )。

もちろん、そのような能力を獲得するためには、長期にわたって専門的な教育訓練を受けることが要求されますが、それに見合った戦闘効率の向上が見込まれることが普仏戦争におけるプロイセンの軍事的成功で認識されたために、モルトケの研究は多くの軍人に知られるようになり、現在の軍隊においても影響力を保っています。『大部隊指揮官のための教令』は翻訳されています。

4 マハン『海上権力史論』(1890)

19世紀のアメリカ軍人であるマハンが書き残した『海上権力史論』は、海軍が持つ戦略的な意義を多くの人々に知らしめ、海洋戦略という領域を切り開いた著作です。先述したジョミニの軍事理論に依拠しながら、海軍に特有の戦略的運用を分析しています。

マハンの軍事理論の特徴は、海軍は艦隊同士の決戦において勝利を収めることを何よりも優先しなければならないと主張したことです。艦隊決戦で勝利を収めることは、敵の艦隊を一挙に撃滅することに繋がるため、自国の商船が安全に海上貿易に従事することを可能にするだけでなく、敵国の経済を海上貿易から切り離すことができます。このような能力を持つことは、戦時だけでなく、平時においても大きな優位をもたらすと考えられます。19世紀を通じて海軍の戦略は陸軍の戦略に比べて研究が遅れがちであり、またマハンの母国であるアメリカの海軍の能力はまだ限定的であったため、その改善を呼びかける意味もありました。

しかし、今日ではマハンの議論には行き過ぎた解釈や間違いが含まれていたことが明らかにされています。後述するコーベットがマハンに対して加えた批判もその一種と言えます。『海上権力史論』は全訳されています。

5 デルブリュック『政治史的枠組みの中における戦争術の歴史』(1900~1920年)

ベルリン大学教授デルブリュックは近代歴史学の視点や方法を軍事史に持ち込んだ研究者であり、主著『政治史的枠組みの中における戦争術の歴史』は古代から近代までの戦争史を包括的に叙述した成果です。当時、軍事史は軍隊の中で研究されることが一般的でしたが、デルブリュックは19世紀に歴史学の中で確立された史料批判の方法を駆使することで、軍事史に学問的な基礎を与えようとしました。

デルブリュックの軍事理論はクラウゼヴィッツの影響を強く受けており、戦争は本質的に政治の道具であると想定しています。その上で、政治的な目的によって、あるいはその他の非軍事的な要因によって、軍隊の戦略的な運用は二つのパターンに変化すると類型化しました。一つは決戦において敵軍を徹底的に撃滅することを追求する殲滅戦略であり、もう一つは戦闘で敵軍を撃滅することを目指すのではなく、戦域において陣地を奪い合い、敵軍を時間をかけて消耗させることを目指す消耗戦略です。軍隊の戦略が政治や経済などの非軍事的要因によって左右されていることを述べたデルブリュックの著作は、近代の軍事理論の基礎を固めることに貢献したと言えます。

ただし、最新の研究成果と照らし合わせると、デルブリュックの著作にも限界があることが指摘されています。特に中世史に関する考察については批判が加えられることが少なくありません。『政治史的枠組みの中における戦争術の歴史』は抄訳でしか読むことができず、全訳が待たれる著作です。

6 コーベット『海洋戦略の諸原則』(1911年)

イギリスの研究者だったコーベットは海洋戦略の研究で知られており、彼の著作『海洋戦略の諸原則』はイギリス海軍の戦略思想に影響を及ぼしました。コーベットには軍歴がなく、海軍では彼の主張に反発する軍人も出てきましたが、クラウゼヴィッツの理論と海軍史の知識によって裏付けられた彼の研究は現在でも高い評価を受けています。

コーベットの軍事理論の特徴は、戦争の政治的目的によって海軍が選択すべき作戦行動のパターンは異なるものでなければならないと考えるところにありました。先述したマハンは艦隊決戦を遂行するために、戦略的に攻勢を重要視していましたが、ジュリアン・コーベットは政治的目的によって兵力の使用を限定しない無制限戦争と、兵力の使用を限定する制限戦争があるとして、あらゆる兵力を全面的に使用することを無条件に想定するマハンの戦略理論の妥当性を批判していました。さらに、コーベットは戦略を高等戦略(major strategy)と下等戦略(minor strategy)に大別するだけでなく、下等戦略を陸軍の戦略、海軍の戦略、陸海軍を統合運用する戦略に細分化するなど、戦略理論の体系化で重要な役割を果たしました。

最近『海洋戦略の諸原則』は全訳されたので、日本語で読むことができます。

7 ランチェスター『戦争における航空』(1916年)

イギリスの技術者だったランチェスターオペレーションズ・リサーチの分野でよく知られた先駆者です。著作『戦争における航空』は航空戦力の研究ですが、その中に数理モデルを使った戦闘解析の研究が含まれています。いわゆる「ランチェスターの法則」の出典はこの著作になります。

ランチェスターの軍事理論の特徴は、兵力比と損耗比に一定の関係が成り立つことを数理モデルによって表現しようとしたことです。ランチェスターは近代戦において兵力を集中する効果を理論的に分析するため、このようなモデルを構築しました。前近代の戦闘を想定すると、兵力が圧倒的に優勢な部隊が劣勢な部隊を攻撃したとしても、最前線で交戦できる兵員はほんの一部にすぎません。しかし、近代の戦闘では火器を使用して射撃することができるため、敵に損耗を与える兵士は必ずしも最前線にいる兵士だけに限りません。この違いが戦闘の結果に与える影響を考えるために、ランチェスターは近代戦になって兵力の集中がますます重要になったと分析しました。

その後の軍事学の理論的研究に大きな影響を与えたランチェスターの法則ですが、その実証的な妥当性については批判や修正が加えられており、戦闘の損耗を記述するモデルとしてそのまま使うことはありません。残念ながら『戦争における航空』は日本語に翻訳されていません。

8 ドゥーエ『制空』(1921年)

イタリアの軍人ドゥーエは航空戦略の分野でいち早く独立空軍を創設する必要性を主張した人物でした。その著作『制空』は20世紀を通じて空軍の戦略思想に大きな影響を及ぼした古典です。

ドゥーエの軍事理論の特徴は、敵国の政経中枢に対して爆撃機で攻撃を加えることにより、戦争を短期間で終結させることが可能になると主張したことです。第一次世界大戦で本格的に軍事的な利用が始まった航空機ですが、ドゥーエはこれが陸海軍の作戦行動を支援する補助的な手段に過ぎないという考え方が根強いことに不満を感じていました。航空機、特に爆撃機を集中的に運用し、敵国に経済的、社会的、心理的な打撃を与える戦略爆撃に成功すれば、第一次世界大戦のような長期戦を避けることができると考えられています。ドゥーエの説は陸海軍から空軍を独立した軍種として位置づけるべきであるとする意見の根拠として広く参照されました。

第二次世界大戦を通じて、ドゥーエが構想した戦略爆撃は何度か実施された例がありますが、その効果は限定的でした。また、ドゥーエがその意義を否定した陸海軍の支援で航空機が重要な役割を果たすことも指摘されています。『制空』は日本語で全訳されています。

9 フラー『戦争の改革』(1923)

イギリスの軍人フラーは機甲戦の研究で国際的な注目を集めた研究者であり、退役してからも数多くの著作を残しました。戦略の研究で有名なリデル・ハートと交流していたことも有名です。

フラーの『戦争の改革』はそれまでに発表した研究成果をまとめたものであり、近代戦の変化を踏まえて「戦いの原則」を定式化することが試みられています。彼の軍事理論の特徴は、あらゆる軍事行動の成功に共通する特徴を分析した上で、9個の戦いの原則を守ることの重要性を訴えたことです。その原則とは、目標、集中、機動などで構成されており、ジョミニが定式化した原則より簡潔であることが特徴です。状況判断に応じた使い分けも容易であり、軍事的意思決定の基準として今でも教育されています。

『戦争の改革』は日本語に翻訳されてはいません。今後、翻訳されることが期待されるところです。

10 毛沢東『抗日遊撃戦争の戦略問題』(1938)

中国の革命家だった毛沢東はソ連の援助を受けながら、中国共産党を率いて国民党や日本軍との非正規戦争を指導しました。戦時下で書かれた彼の『抗日遊撃戦争の戦略問題』は中国の地方を根拠地とする装備が貧弱なゲリラが、日本軍の戦闘力を低下させ、最終的に攻勢に転じる作戦計画の基礎となる戦略思想を論じた文章です。

毛の軍事理論の特徴は、軍隊の正規戦争と遊撃隊の非正規戦争を厳密に区別して指導するのではなく、相互に補完し合うものとして指導することにありました。これは非正規戦争だけで政治的目的を達成することが可能であると主張したロレンスとは対照的な議論です。陸上において敵と味方の軍隊は前線を挟んで争いますが、遊撃隊は敵軍の後方に潜入し、後方支援を攪乱し、住民を組織化し、根拠地を形成します。これらの根拠地は最初は分散していますが、次第に連結させることによって、新しい前線を作り出すことができます。さらに遊撃隊にも経験と訓練を積ませることで、段階的に正規軍として再編成し、非正規戦争ではなく正規戦争を遂行できる軍隊へと成長させていきます。

毛沢東の著作は第二次世界大戦の直前に書かれたものではありましたが、軍事学の研究者にその意義が認識されるようになったのは比較的最近のことです。毛沢東の著作は日中戦争を念頭に置いて書かれたものですが、非正規戦争の研究において示唆に富む研究成果です。『抗日遊撃戦争の戦略問題』の全訳は『抗日遊撃戦争論』に収められています。

まとめ

以上が近代の軍事学の古典として位置づけることができる10冊になります。ほとんどが翻訳されているものの、まだ日本語で読むことができない文献も一部にあることが分かると思います。1945年には史上初の核兵器を使用した攻撃が実施されてからは、軍事学の研究では核戦略の問題が浮上してきました。この時期にはブローディキッシンジャーウォルステッターシェリングカーングレイフリードマン などの研究者が現れ、核戦争の遂行を視野に入れつつも、核戦争の勃発に至らないための危機管理、軍備管理、限定戦争などに抑える研究が本格化してきます。

しかし、近代の軍事学の研究成果がすべて捨て去られたわけではなく、多くの要素が現代の研究に受け継がれました。特にクラウゼヴィッツの軍事理論はブローディによって核戦略の基礎として位置づけられたため、今でも軍事学の重要なパラダイムとして機能しています。毛沢東の戦略思想は、1970年代のベトナム戦争でその意義が見直され、非正規戦争に対応するためのドクトリンの研究に繋がりました。1980年代にヨーロッパにおける軍事バランスをめぐる論争でランチェスターの法則が問題になっています。


※この記事はご質問者様のご協力の下で作成いたしました。厚く御礼申し上げます。

武内和人(Twitterアカウント

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