戦間期に飛行隊の戦術はどのように研究されていたのか

戦間期に飛行隊の戦術はどのように研究されていたか

2021年3月23日

第一次世界大戦で航空機の本格使用が始まったばかりだった頃、航空機は偵察のための装備と考えられていました。しかし、間もなくして空中戦闘により敵機を撃墜することで敵の航空偵察を拒否できることが発見されてからは、さまざまな戦闘機動(Basic Fighting Maneuver, BFM)が発展し始めました(Hamillion 1984; Shaw 1985)。戦術の観点から航空戦力の運用が本格的に研究されるようになったのは、まさにこの時期からです。

戦間期に航空戦力の有効性を戦略の観点から主張した人物としては、イタリアの軍人ジュリオ・ドゥーエや、アメリカの軍人ビリー・ミッチェルなどが有名です。しかし、戦術の観点から研究に取り組んだ人物はあまり注目されていないかもしれません。アメリカの軍人ウィリアム・シャーマン(William C. Sherman)もそのような人物の一人ではないかと思います。

今回の記事では、彼の『航空戦(Air warfare)』(1926)を取り上げ、そこで主張された内容の一部を紹介してみたいと思います。飛行隊を中心とする戦闘機動の戦術的研究で成果を残しています。

個人の戦闘から集団の戦闘への移行

アメリカ陸軍の軍人だったシャーマンは、第一次世界大戦における航空戦闘の調査から、戦闘機が各個に交戦するのではなく、複数の戦闘機が飛行隊として集団で交戦することが一般的になると予測し、飛行隊で空中戦闘を遂行する戦術を確立する必要があると考えました。もちろん、このことは航空戦においては操縦士の個々の技量が重要な意味を持つことを否定するものではありません。

シャーマンも「個人の技量が他の軍種の戦闘よりも、常に重要な要素であると考えられる」と明確に述べています(p. 65)。つまり、航空戦で勝利を得るためには、敵の航空機を1機ずつ撃墜することが避けては通れません。第一次世界大戦でドイツの軍人ベルケとその後継者たちが確立した航空攻撃の古典的な戦闘機動の価値をシャーマンは高く評価します(p. 76)。

ドイツ軍人によって確立された戦闘機動の最大の特徴は、敵機が飛行していると思われる高度よりも高い高度で飛行し、敵機を見つけると、まるで鷹が上空から獲物に襲い掛かるように急降下しながら攻撃することでした。これが成功するためには奇襲の成功が必須ですが、もし最初の一撃で敵機を撃墜できなくても、そのまま急降下を続けて加速しながら離脱してしまうか、あるいは交戦のために急上昇しながら敵機の後方に回り込むことが可能です。

この戦闘機動が威力を発揮する理由は、敵機よりも自機がより大きな「位置エネルギー」を持てるためです。そのため、急降下に移り、位置エネルギーが運動エネルギーに変換されると、その後の戦闘機動に不可欠な速さを短時間で確保することが可能になります(Ibid.)。こうした攻撃では極めて短い時間に成否が分かれるので、攻撃を実施する場面においても、あるいは攻撃に対処する場面においても、それぞれの操縦士に技量がなければなりません。シャーマンは航空戦闘が本質的に個々の操縦士の技量によるところが大きいことを何度も強調しています。

それでも、航空戦闘で飛行隊が協調することの重要性を過度に軽視してはならないとも述べています。飛行隊長は他の飛行隊員からよく見えるように前方で戦闘機を飛行させるべきです。そうすれば、飛行隊長の指示や合図を飛行隊に伝達することが簡単になります(p. 126-127)。これは飛行隊が逆V字の隊形で飛行すべき理由の一つに過ぎません。この編隊飛行では、上空から敵機の攻撃を受けることを想定しており、戦闘機は前方を飛行する戦闘機よりもやや上空に占位します

この編隊飛行を横から眺めると、飛行隊長の機体から階段のように斜めに戦闘機が並ぶことになります。もし飛行隊長の機体が攻撃された場合は、その後方にいる戦闘機が攻撃を加えてきた戦闘機に対処することができます。もし最も後方に位置する戦闘機が攻撃を受けた場合は、その戦闘機もすぐに急降下して前方を飛行する味方の戦闘機の下方に潜り込みます。もし敵機がそれを追いかけようとすれば、味方の戦闘機は敵機の後方を簡単に攻撃することができます。

飛行隊の適切な規模とその運用について

シャーマンにとって大きな問題だったのは、飛行隊の適当な規模を判断することでした。9機で逆V字の編隊飛行を実施することは経験からほぼ不可能であると多くの操縦士が考えていることを踏まえて、9機が事実上の飛行隊の規模の上限だとシャーマンは述べています(p. 128)。

第一次世界大戦で活躍したドイツ軍の軍人リヒトホーフェンは7機の飛行隊を指揮し、大きな戦果を上げたことで知られています。しかし、これほどの規模になると、飛行隊長はそれを運用するために大きな負担を背負わなければなりません。実際、7機からなる編隊を巧みに指揮することは非常に難しいことであると考えられています。

より単純なのは3機からなる編隊です。これならば、飛行隊長は味方機の位置を把握しやすく、指揮統制もかなり楽であり、何よりも戦況の変化に即応して柔軟に対応することができます。ただ、1機でも故障が発生し、あるいは撃墜されると、もはや飛行隊としての戦闘行動を続行することが難しくなるという脆弱さがあります。そのため、シャーマンは「3名で飛行することの不利益は、利益を上回っていると考えられる」と判断します(p. 127)。

最終的に、シャーマンは7機と3機の間をとって5機で飛行隊とすることを主張します(pp. 128-9)。これは当時の技術条件を踏まえた数値であり、将来的により大規模な飛行隊を運用する必要性が生じる可能性があるものの、当面の戦術では、これを基準に考えることが適切ではないかと論じています。飛行隊を単位とした航空戦の戦術的原則は、その一部の機体で敵に打撃を加え、残りの機体はそれを支援することです(p. 131)。

敵機に攻撃を加えるときには、やはり奇襲となるように上空から実施しますが、飛行隊長だけが攻撃のために急降下するとしても、残りの機体は上空で高度を保ちます。こうすれば、飛行隊は敵機がとった動きに応じて次々と攻撃を繰り出すことが可能になります。これは3機の飛行隊でも実行可能ですが、5機の飛行隊であれば、上空で掩護に残せる機体をより多く確保できるため、それは戦術的に大きな優位になります(Ibid.)。

上空で敵と交戦していない戦闘機がいることは、最初の攻撃からドッグファイトに移行した後で重要な意味があります。というのも、先ほども言及したリヒトホーフェンは、攻撃の際には飛行隊で最も腕利きの操縦士1名から2名とともに上空にとどまり、残りの機で攻撃を加える戦術を多用していました。

このようにすれば、最初の攻撃で決定的な戦果を上げることができず、ドッグファイトが始まったとしても、確実に敵機を捕捉できる瞬間に戦闘機を戦闘に加入させることができます。いったんドッグファイトが始まると、目の前の敵機を撃墜することに操縦士の注意が集中する傾向があるため、このような戦術は非常に効果的でした(pp. 132-3)。

むすびにかえて

シャーマンの分析は戦間期の空軍技術の動向を前提にしています。つまり、戦闘機は射程が短い機関銃(第二次世界大戦以降は機関砲)で交戦しており、敵機を撃墜するためには、かなり距離をつめる戦闘機動が要求されていました。朝鮮戦争の後でレーダー誘導の空対空ミサイルが開発され、1950年代にはアメリカ空軍で視程外から敵機を攻撃できる空対空ミサイル、スパローを戦闘機部隊に配備するようになっており、今でもこのような戦術が頻繁に使用されているというわけではありません(Slim 1979)。

ただ、このような視程外からの攻撃だけで対航空戦に勝利できるとは限りません。ミサイルの性能の問題を置いておくとしても、敵機が十分な距離でミサイルの脅威を探知してしまい、適切に回避行動をとれば、撃墜できる可能性はほとんど見込めません。このようなミサイルをすべて使い果たした後でも互いに交戦の意思を捨てないようであれば、現代においても第一次世界大戦で編み出された戦闘機動が使われる可能性は否定できないのです。

ここでシャーマンが述べた議論も単に戦間期に飛行隊の戦術の研究があったことを示すだけではなく、現代の空軍の戦術を理解する上でも一定の意義があるのではないかと思います。

武内和人(Twitterアカウントnoteアカウント