これだけは知っておきたいブローディの核戦略論の3つのポイント

これだけは知っておきたいブローディの核戦略論の3つのポイント

2020年6月23日

はじめに

バーナード・ブローディは核戦略論の先駆者であり、現代の研究者も彼の研究成果を避けて通ることはできません。しかし、残念ながら2020年6月の時点でブローディの著作は一冊も翻訳されておらず、なかなか多くの人々に認知されていないのが実情です。

そこでブローディの戦略理論を学ぼうとする方々に向けて、主著『ミサイル時代の戦略(Strategy in the Missile Age)』(1959)の内容を紹介してみます。この著作はノーベル賞を受賞したシェリングからも高く評価されており、今でも核戦略の古典と見なされています。

彼の議論の中で特に重要な3つのポイントを取り出し、簡単に解説してみたいと思います。

1 クラウゼヴィッツの軍事理論の意義の強調

ブローディは著作の第1部でナポレオン戦争から現代に至る戦略思想の歴史を解説しており、戦争に対する考え方の変遷を要約しています。

そこでは19世紀の戦略思想家アントワーヌ・アンリ・ジョミニや20世紀初頭に活躍した戦略家フェルディナン・フォッシュなどの思想が検討されており、彼らが戦争を効率的に遂行することを追求することに満足し、何のために戦争を遂行しているかを軽視しているとブローディは批判しています。

ブローディは19世紀のプロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツの著作『戦争論』(1832)を高く評価したのは、このような他の戦略思想家の問題を先んじて指摘していたことです。ブローディが感銘を受けていたのは、クラウゼヴィッツが戦争を政策の手段として分析することができると論じた部分です(Brodie 1959: 36-7)。クラウゼヴィッツの説によれば、戦争は本質的に政策の一手段であり、政治家が戦争を指導する際には、その目的を明確化することが重要でした。

ブローディは、第一次世界大戦は目的を見失った戦争の典型と考えました。戦争において用いられた戦略はクラウゼヴィッツの研究をまったく無視したものであり、戦争遂行そのものを効率化することばかりが議論されていました。ブローディは航空戦略の分野で戦略思想家として評価されたジュリオ・ドゥーエを取り上げています。ドゥーエの戦略論は、第一次世界大戦があれほど悲惨な戦いになった根本の原因を戦争遂行の方法にあるとしており、そのことをブローディは行き過ぎた単純化であるとして批判しています。

ドゥーエは独立空軍を創設し、敵国の政経中枢に対して戦略爆撃を加えることによって、戦争の早期終結を図ることができると主張していましたが、ブローディはそのような戦略の考え方を戦略の問題に適用すべきではなく、特に核兵器の使用の可能性がある状況で適用すれば、恐ろしい事態を引き起こすと懸念しました(Ibid.: 37)。

2 核兵器を抑止の戦略に位置づけ直す

1945年にアメリカ軍が2発の原子爆弾を日本の広島と長崎に投下した際には、ドゥーエの戦略爆撃が応用されていました。ドゥーエは敵国の政経中枢に対する航空攻撃は戦争継続の能力を物心両面から破壊する最も軍事的に効率的な方法であると考えていたためです。しかし、ブローディはこれが必ずしも有効だったのか疑問を投げかけています。

1953年にドワイト・アイゼンハワー大統領が打ち出した大量報復(massive retaliation)も、ブローディの批判の的になっています。大量報復はソ連に対して数的に劣勢だったアメリカの軍事態勢を補強する、ソ連の攻撃に対して核兵器を使用する可能性を示唆する戦略でしたが、ブローディはこのような発想は軍事的な効率性に偏り、政治的な観点を軽視したものだと評価しました(Ibid.: 250)。

ブローディはいったん米ソ両国が核兵器を使用し始めれば、もはや事態の制御は極めて困難になると考え、戦争計画における軍事的考慮を抑制し、適切な政策、特に政治的目的との調整をもっと重視するように提案しました。

そもそも、アメリカは新たな領土や勢力圏を欲して戦争を遂行しようとはしておらず、あくまでも現状維持(status-quo)の立場をとる国なので、その安全保障政策の目標は脅威を及ぼしてくる国の武力攻撃を防ぐことであると規定することができます。そこでブローディは敵国との核戦争で戦果を上げることばかりを考えるのではなく、「抑止の戦略(strategy of deterrence)」を核戦略の基本とすべきであると主張しました。

抑止の戦略は防衛の戦略と似て非なるものです。というのも、抑止の目的は、相手に武力攻撃を思いとどまらせることだからです。防衛の目的は相手の武力攻撃を防ぎ止めることにあるため、防衛戦略は必ずしも抑止戦略と同じではないとブローディは考えました。そのため、抑止の戦略を成功に導くためには、戦時下で軍事行動を効率的に指導するときとは、異なる理論が必要であると述べています。

3 核兵器による抑止が成功する条件を探る

まず、抑止の戦略を採用することは、先制によって相手に対し軍事的な優位を確立する選択肢を自ら放棄することを意味しています。その代わりに、ブローディは敵の第一撃(first-strike)を受けても、その被害を免れるような強靭な報復能力を整備することが重要だと主張しており、これを自らの戦略理論の要として説明しました。

「脅威を受ける小国が、たった1発の熱核爆弾だけでソ連を脅かすことができるとして、ソ連軍から攻撃を受けたならば、確実にその核爆弾でモスクワを攻撃することが可能であり、またそうするであると想定してみよう。これはソ連を思いとどまらせるために十分な報復能力になるだろう」(Ibid.: 275)

ここでブローディは「最小限の抑止(minimum deterrence)」を確立するための条件を考察しています。最小限の抑止では、敵の第一撃で味方に被害が出たとしても、確実に報復できるだけの戦力規模を確保しなければなりません(Ibid.: 277)。

ブローディは抑止戦略の課題をさまざまな形で議論しているのですが、その中に核戦力の装備構成に関する問題が含まれています。核弾頭の運搬手段として、航空機は核爆弾を運搬し、目標地点で投下することが可能ですが、敵から奇襲を受けた際に地上で破壊される危険が高い、つまり敵の第一撃に対する脆弱性が大きいとブローディは指摘しています。これに対してミサイルは地下施設などに掩蔽しておくことができるので、脆弱性がより小さくなりますが、政府がこれを調達するためには、より大きな費用がかかるため、十分な数を揃えることが困難です(Ibid.: 288-9)。

ここでジレンマが生じてきます。もし報復能力がわずかな数のミサイルに依存している場合、その位置情報が敵に取得されたならば、そこに敵が集中的に打撃を加えた際に、味方が報復能力を失う可能性があります。しかし、多数の航空機を各地の基地に分けて配備しておけば、この集中的な打撃を受けた場合のリスクには対処できます。敵は味方の報復能力を奪うために、各地の基地を打撃しなければならなくなるためです。ブローディは航空機とミサイルの両方をバランスよく取り入れた報復能力の構築が必要であるとの見解を示しています。

ただし、このような核兵器を使用することを前提にした報復能力だけに抑止を頼ることの危険もブローディは認識していました。例えば限定的かつ局地的な侵略に対しては、我が方としても戦力を限定的かつ局地的に使用することで対処できる態勢を整えることが重要であると述べています。これは核抑止(nuclear deterrence)だけでなく、通常抑止(conventional deterrence)をバランスよく整備すべきという考え方です。

また、被害を最小限に食い止めるため、民間防衛(civil defense)の体制を強化しておくこともブローディは提案していました。これは都市部が攻撃を受けても、その被害を最小限に食い止めることができるようにすることで、敵が攻撃から期待できる戦果を小さくし、攻撃の実施そのものを思いとどまらせることにつながる措置です。

むすびにかえて

冒頭で述べたように、ブローディの理論は核戦略の基礎として位置づけられており、その影響は現代の核戦略の議論にまで及んでいます。その影響の大きさを実証する研究もあり、例えばフレッド・カプラン(Fred Kaplan)の著作『アルマゲドンの秀才たち(The Wizards of Armageddon)』(1983)でアメリカの核戦略の研究史に関する考察でブローディを取り上げています。また、バリー・ステイナー(Barry Steiner)は『バーナード・ブローディとアメリカの核戦略の基礎(Bernard Brodie and the Foundations of American Nuclear Strategy)』(1991)で、アメリカの核戦略の研究におけるブローディの影響を詳細に検討しています。

ブローディの研究の意義は単に歴史的なものにとどまりません。北朝鮮や中国に対する抑止力の構築が求められる現代の日本においても、ブローディの核戦略理論はもっと知られる価値があるでしょう。もちろん、移動式の弾道ミサイルの脅威に対処するためには、攻撃目標の位置情報を取得する必要があるといった制約や、日本のように核兵器を持たない国の抑止戦略など、ブローディが十分に議論していない論点もありますが、現代の問題を考察するためにも、基礎としてブローディの研究を押さえておくことは大事ではないかと思います。