ヴェルノワ

ヴェルノワ

ヴェルディ・ドュ・ヴェルノワ(Julius von Verdy du Vernois, 1832年7月19日 – 1910年9月30日)はプロイセンの陸軍軍人である。

シュレージエン出身。幼少期の詳細については分からないが、おそらく苦しい家計を助けるために軍人を志し、陸軍士官学校での教育訓練を終えて1850年に歩兵科の少尉になった。第14歩兵連隊に配属されたが、1855年に陸軍大学校に入学し、そこで本格的に軍事学を修める機会を得た。優れた成績を残したことから、1858年に卒業した後も陸軍大学校に教官として残り、軍事史の研究に打ち込んだ。1863年にロシアに赴任する駐在武官となり、ワルシャワ、サンクトペテルブルク、モスクワを訪れている。1866年に帰国すると、直ちに南ドイツの調査旅行を命じられた。これは普墺戦争の勃発が近づいていたための措置だったが、ヴェルノワはその任務を遂行し、優れた報告書を書き送った。その内容は参謀総長モルトケの目に留まり、ヴェルノワは第2軍の参謀に抜擢された。

部隊勤務を経て参謀本部の情報部長に異動し、ヴェルノワはモルトケの下で働くようになった。普仏戦争ではモルトケの作戦指導を補佐した功績で高い評価を受けるようになり、また陸軍大学校においても教官として指導した。1877年に第62歩兵旅団の旅団長に就任し、1879年には陸軍省で勤務した。1881年には第1師団に異動し、パウル・フォン・ヒンデンブルクの参謀長になった。1887年にストラスブールの知事として、同地の要塞拡張事業に携わった。1889年に士官候補生の頃の同期だったアルフレート・フォン・ヴァルダーゼー(Alfred von Waldersee)の後押しを受けて陸軍大臣に就任したが、1年半で職を辞することになった(この時期のヴェルノワの仕事については事例研究 戦争より革命を恐れたヴィルヘルム二世を参照)。1890年に退役してからも、ドイツの公使としてストックホルムで勤務しながら著述を続けた。ストックホルムで死去。

普仏戦争でモルトケが注目されたように、ヴェルノワの著作も世界的な関心を集めた。特にヴェルノワの戦術学に関する研究はよく知られており、例えば『部隊指揮の研究(Studien über Truppen-Führung)』(1873-5)を挙げることができる。これは師団・旅団を対象にした戦術学の研究であり、英語で翻訳が出ている。

  • Vernois, Julius von Verdy du. 1873-5. Studien über Truppen-Führung. Berlin.

もう一つの代表的な著作は『偉大な司令部とともに 1870-71(Im Großen Hauptquartier 1870/71)』(1894)であり、これは普仏戦争における自らの経験をまとめた回顧録的な著作である。

  • Vernois, Julius von Verdy du. 1896. Im Großen Hauptquartier 1870/71. Persönliche Erinnerungen. Berlin.