モンテクッコリ

モンテクッコリ

ライモンド・モンテクッコリ(Raimondo Montecuccoli, 1609年2月21日 - 1680年10月16日)は、イタリア出身の軍人である。三十年戦争で皇帝軍を率いた軍人であり、17世紀のヨーロッパでは軍事学の権威として高く評価されていた。

経歴

1609年にイタリアのモデナ=レッジョ公国におけるパヴッロ・ネル・フリニャーノで貴族のモンテクッコリ家に生まれた。19歳の時にハプスブルク家に仕える叔父エルンスト・モンテクッコリの歩兵連隊に加わり、ドイツやフランドルでは一兵卒として従軍していた。少尉に任官してからは歩兵部隊を率いて三十年戦争の激戦を経験した。1631年にはブライテンフェルトの戦いでは戦闘で負傷して捕虜になり、1632年のリュッツェンの戦いでも再び負傷した。間もなく騎兵に転じ、1634年のネルトリンゲンの戦いで軍功を上げることができた。1639年の戦闘で再び敵に捕虜として捕らえられ、しばらく軍務に復帰できなかったが、その時間を利用して自ら歴史や数学といった学問を学んだ。

1642年にモンテクッコリは少将に昇進し、引き続きハプスブルク家に仕え、シュレージエン方面に派遣されることになった。1644年にはその能力が認められて軍事参議官に任命され、翌1645年には三十年戦争に参戦しようとしたハンガリー軍と戦い、またフランス軍、スウェーデン軍とも戦った。モンテクッコリは優れた采配でこれらの脅威に対処し、1647年に大将に昇進を果たした。1648年にヴェストファーレン条約が締結されたことで三十年戦争は終結したが、その頃までにモンテクッコリはヨーロッパ大陸で最も優れた軍人として認められていた。第一次北方戦争が勃発すると、モンテクッコリは再び軍を率いてスウェーデンと戦い、トルコとの戦争でも勝利を収めることに貢献した。こうした功績から1664年に神聖ローマ帝国軍の総司令官に任命され、1668年に軍事参議院の議長に就任し、ハプスブルク帝国の防衛を担った。ネーデルラントを狙うルイ十四世が戦争を引き起こすと、モンテクッコリは軍司令官として戦地に向かったが、その際にもフランス軍をライン川の対岸に押し戻して見せた。

しかし、1673年の戦闘を最後にモンテクッコリは前線から離れ、本国で軍制の改革や軍事学の研究に専念するようになった。モンテクッコリは1680年にオーストリアのリンツで死去した。

思想

軍事学の歴史にモンテクッコリが名を残したのは、彼が優れた軍人だっただけでなく、科学的アプローチで戦争術の原則を解明しようとしたためである。モンテクッコリは1652年に設立されたドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ(Deutsche Akademie der Naturforscher Leopoldina)の会員の一人であったこともあり、科学的方法に従うことで体系的な軍事学を発展させることを構想していた。つまり、それまでの一般性、普遍性を欠いた間に合わせの学説から脱却し、より根本的な戦理を理論的に定式化することを軍事学の研究課題として位置付けたのである。

そのため、モンテクッコリは現在の戦争の様相や軍隊の形態、そして慣用される戦法を踏まえながらも、可能な限り戦争を一般的に分析しようと試みた。戦争の狙いは勝利であるとした上で、それは戦地が陸上なのか海上なのかによって分類できるだけでなく、攻勢か防勢か、国内か国外か、公正か不正かによっても区別し、類型化できると考えた。そして攻勢をとる場合においては、敵の糧道を断つことの重要性を主張した。もし敵の軍が要塞に立て籠もったとしても、後方さえ遮断することができれば、孤立した敵軍は少しずつ弱体化していく。必要なら果敢に敵に戦闘を挑むことをためらうべきではない。

こうしたモンテクッコリの議論は今日から見れば必ずしも科学的なものばかりではなく、当時の軍事情勢の特性に強く影響されたものも少なくない。しかし、過去に有効だった戦争術をモデル化するのではなく、より広い妥当性を持った普遍的な戦理を探ろうとするモンテクッコリの姿勢は、その著作がヨーロッパで広まるにつれて、多くの軍事学者に引き継がれていった。その意味でモンテクッコリの思想はヨーロッパの軍事学史において重要な意味を持っている。

業績

モンテクッコリの著作は秘密保持の観点から生前公刊されなかったが、18世紀に出版が始まった。日本語に翻訳された文献はなく、イタリア語で書かれた原著か、ラテン語、スペイン語、フランス語、ロシア語、ドイツ語の翻訳に当たらなければならないが、英語の翻訳は見当たらない。自身の軍事思想をまとめた著作としては『戦争術(Dell'arte militare)』(1792)があるが、引用されることが多いのは『ハンガリーにおける対トルコ戦争(Della guerra col Turco in Ungheria)』の議論であり、いずれも下記の『ライモンド・モンテクッコリ著作集(Le opere di Raimondo Montecuccoli)』に収録されている。

  • Raimondo Montecuccoli. 1988. Le opere di Raimondo Montecuccoli. 2, Roma: Ufficio Storico dello Stato Maggiore dell'Esercito.(Dell'arte militare, Della guerra col Turco in Ungheriaを収録)