ニザーム・アルムルク

ニザーム・アルムルク

ニザーム・アルムルク(Nizam al-Mulk, 1018年4月10日 - 1092年10月14日)はセルジューク朝に仕えたイラン人の宰相である。

イラン東部のトゥース出身。セルジューク朝のスルタンに宰相として仕え、国政に深く関与していた。特に重要な功績とされるのが軍隊の整備であり、セルジューク朝の軍制の基礎を築いた。また、1067年にバグダードにニザーミーヤ学院を設置するなど、文化、学問の発展にも貢献している。その功績から宮廷で大きな勢力を握ったが、国内には敵視する勢力も存在しており、1092年に謀略によって暗殺された。11世紀のセルジューク朝が領土を大きく拡張したものの功績は大きく、その著作『統治の書(Siyaāsat Nāma)』は国家を治める方法を説いた古典的著作として伝えられている。その中では軍制に関する記述も含まれており、当時のセルジューク朝の軍隊の内情が詳細に記されている。例えば、ニザーム・アルムルクは一つの部隊に複数の人種の兵士を配属させることが重要だと論じているが、これは兵士が団結して反乱を起こすことを防止する意味があった。給与の支払いや糧食の支給についても階級に応じて公平を期するなどの注意事項が述べられているが、これも軍隊の掌握するための措置であり、宮廷が軍隊を政治的に統制する上でどのような注意を払っていたのかが伺われる。

著作『統治の書』には翻訳があるため、日本語で読むことができる。

  • ニザーム・アルムルク著『統治の書』イスラーム原典叢書、井谷鋼造、稲葉穣訳、岩波書店、2015年