軍事用語の「戦略」の意味を問い直す必要があると主張されている

軍事用語の「戦略」の意味を問い直す必要があると主張されている

2020年7月10日

はじめに

元オックスフォード大学教授ヒュー・ストローン(Sir Hew Strachan)は2005年に学術誌『サバイバル』で「戦略の失われた意味(The Lost Meaning of Strategy)」という意味深な表題の論文を発表しました。この論文はいい加減に使われがちな戦略という概念の意味を改めて確認すべきと主張し、戦略学の研究者から注目を集めました。この論文は2008年に出版された『戦略学読本(Strategic Studies: A Reader)』に収録されるなど、戦略学を学ぶ人にとって必読論文となり、今でもその学術的な価値は失われていません。

ここではストローンの議論を紹介しながら、戦略という概念がどのように発展してきたものなのかを知り、戦略を正しい定義で理解することがなぜ重要なのかを考えてみたいと思います。

戦略という概念は拡大解釈されてきた

そもそも、軍事学における戦略の定義は、一般に使われている戦略の定義よりもはるかに狭く、厳密でした。戦略学の古典的権威であるクラウゼヴィッツは戦略を「戦争の目的を達成するため、その交戦を活用すること」と定義しましたが、現代の人々は明らかに戦略をより広い意味で使っています(Ibid.: 422)。

ストローンはクラウゼヴィッツだけでなく、それ以前に戦略を研究したマイゼロアジョミニ、カール、ナポレオンなどの軍事思想を検討し、伝統的な意味で使われていた戦略の概念を現代に蘇らせています。そして、戦略は戦争を構成する要素の一部であり、政策の下位、戦術の上位に位置づけられる中間的な概念だったことを明らかにしています。

「戦略は戦争を構成する三つの構成要素の一つにすぎなかった。戦略は政策と戦術に挟まれた要素だった。それぞれは異なる要素であるが、それらの間には調和が必要とされていた。伝統的な戦略が取り組んだ問題は、戦略の定義よりもむしろ、政策との境界にあった」(Ibid.: 423)

しかし、政策と戦略の調整という問題は、政策と戦略の一体化という問題にすり替えられるようになっていったと指摘されています。この傾向が強まったのは第一次世界大戦以降であり、海洋戦略の分野では特に顕著でした。

イギリスの研究者として海洋戦略を専門にしていたコーベットは、クラウゼヴィッツの理論を海洋戦略の分野に応用した先駆者でしたが、彼は戦略という概念を「高等戦略(major strategy)」と「初等戦略(minor strategy)」に区別し、作戦計画の立案、前進目標の選択、作戦部隊の指導を初頭戦略の問題として整理しました。そして、高等戦略に戦争を遂行するための国の資源、陸海軍を全般的に運用するという問題を割り当てたのです(Ibid.: 424)。海洋戦略の分野ではマハンもジョミニの戦略理論に依拠しながら研究しましたが、やはり彼も同様に戦略を政治的・経済的な観点から把握する必要があることを認めるようになりました(Ibid.: 425)。

コーベットの高等戦略という呼び名は現代の文献ではあまり使われなくなっており、マハンは戦略を政治的・経済的な観点から分析する必要を論じるだけに留めましたが、彼らはイギリスにおいて大戦略(grand strategy)、アメリカにおいて国家戦略(national strategy)と呼ばれることになる拡大された戦略概念の先駆者でした。ストローンは戦略学において影響力があったリデル・ハートの文献で大戦略(grand strategy)という概念が定義され、国のあらゆる資源を管理し、戦争の政治的目的を達成するために指導するも戦略の問題として見なされるようになったことを示しています。

この結果、少なくともイギリスとアメリカでは政策と戦略を分離した上で調整するのではなく、はじめから「高等戦略」、「大戦略」、「国家戦略」として統一されたまま解決すべきだと考えられるようになりました。さらに冷戦期に入ると核戦略の研究でこの傾向が強化されることになり、政策と戦略の統一はますます自明のものだと見なされるようになり、アメリカの研究者シェリングの文献で戦略は力の効率的な適用ではなく、潜在的な力を活用することと関連付けられるようになり、戦時だけでなく平時においても戦略という用語が使われるようになりました(Ibid.: 428)。フランスの軍人ボーフルは戦略を思考の方法と述べることで、戦略という概念から伝統的な意味を完全に取り払っています(Ibid.)。

戦略の伝統的な意味を見直す必要がある

ストローンは戦略という概念があまりにも広がり、政策という概念と実質的に区別がつかなくなった結果として、戦略学の研究が安全保障学の研究に取って代わられたと考えています。安全保障学は戦略学よりもはるかに広い研究領域であり、政治学を基礎としながら、経済、社会、文化、法律を組み合わせた包括的な研究領域です。

「戦略は死に絶えたという結論になるかもしれない」とストローンは述べていますが(Ibid.: 431)、それでも伝統的な戦略の概念は過去の特殊な時代背景のもとに形成された抽象的な概念ではなく、歴史に根差して形成されたものであり、その重要性が時代の変化によって失われる性質のものではないと主張しています。

ストローンの見解によれば、現代の戦略に関する理解は、合理的アプローチあるいはゲーム理論に依拠したものに偏っている可能性があります(Ibid.)。冷戦終結後にクレフェルトキーガン、カルドーなどの研究者は伝統的な国家間の戦争が過去のものとなり、新しい形態の戦争が登場したと主張していますが、ストローンはこのような議論が出されること自体が戦争の原初的、根源的な在り方に対する理解の不足を示しており、伝統的な意味での戦略的観点を回復することで対応すべきだと考えました(Ibid.)。

冷戦においては戦略という概念を広げて政策と混合することが、むしろよかったのかもしれませんが、冷戦が大国間の戦争が勃発しない比較的平和な時代だったことを考慮しなければなりません。このような時代に発達した戦略理論は、実際の戦争であまり役に立たない可能性があります。

ストローンは1999年にコソボ紛争で北大西洋条約機構欧州連合軍最高司令官として指揮をとったアメリカ陸軍軍人クラーク(Wesley Clark)が戦略という概念を伝統的な意味で正確に使っていることに注目しています。彼が「軍事力を効率的に使用するには、政治情勢から距離を置き、一世紀半前のポスト・ナポレオン世代の軍事著述家たちによって特定された「戦いの原則」に従うことが必要である」と主張したことを紹介し(Ibid.: 433)、19世紀の戦略理論の実践的な価値を見直すように求めています。

むすびにかえて

この論文は単に戦略という概念の意味の変化を辿っているだけではありません。戦略学の歴史で第一次世界大戦前後にある種の戦略という概念をめぐる混乱が起きていたことが指摘されています。海洋戦略の分野で始まった戦略の拡大解釈は、次第に政策と戦略を同一視する議論に繋がり、それが伝統的な戦略理論で重視されてきた戦いの原則を軽視することに繋がったとストローンは考えています。

そのような軽視が効率的な軍事行動を妨げているとすれば、戦略学の研究を立て直すためにも、また国家安全保障のためにも伝統的な戦略概念に立ち戻るべきだとストローンが述べていることも理解できます。伝統的な戦略思想は実戦を経験した一部の軍人の支持を完全に失ったわけではありません。ストローンの議論を支持するにしても、反対するにしても、今後の戦略学の研究の方向を判断する上で重要な参照点となるでしょう。

21世紀の世界情勢がどのように推移するかは分かりませんが、もしアメリカがロシア、中国などと大規模な戦争を遂行することになるとすれば、ストローンの議論はますます大きな意義を持つことになるでしょう。

執筆:武内和人(Twitterアカウント