イラク戦争の英雄ペトレイアスの軍事的プロフェッショナリズム

イラク戦争の英雄ペトレイアスの軍事的プロフェッショナリズム

2020年1月26日投稿

はじめに

デヴィッド・ペトレイアス(David Howell Petraeus, 1952年11月7日~現在)は2007年2月にイラク多国籍軍の司令官に就任し、現地で対反乱作戦の指揮をとったアメリカ陸軍軍人です。

当時のイラクは治安の悪化が深刻であり、2006年の下半期でイラク人の死者が1カ月で3000名を超えるほどになっていました。

ペトレイアスは多国籍軍の対反乱作戦を武力による鎮圧から民生の支援へと大胆に転換することで成果を収めており、2007年10月にはイラク人の死者の数を950名にまで抑制した功績で知られています。

今回は、このペトレイアスの事例を分析することによって、現代の軍人に求められる軍事的プロフェッショナリズムがどのようなものであるべきかを考察した論文の内容の一部分を紹介したいと思います。

著者は自衛官であり、海上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程特別研究でこの論文を執筆し、その研究成果でイギリス海軍から第一海軍卿賞が授与されています。

論文情報

ペトレイアス(David Howell Petraeus, 1952年11月7日~現在)は2011年に退役し、オバマ政権で中央情報局長官を務めたが、2012年に辞職した。現在は南カリフォルニア大学の教授を務めている。

軍事的プロフェッショナリズムの変化とペトレイアスの事例

この論文の主題であり、また大前提とされている軍事的プロフェッショナリズム(military professionalism)とは、米国の政治学者サミュエル・ハンチントン(Samuel P. Huntington)の古典的著作『軍人と国家』(1957)で初めて提唱された概念であり、近代的な軍事制度の特徴として位置づけられている軍事専門職の特質を指しています。

ハンチントンは前近代の軍人の階級や地位が貴族の特権として扱われていたものの、近代以降の軍人の階級や地位は専門職として再定義されたことを重要視しており、この際に軍事教育を通じて獲得される軍人の知的能力の本質を「暴力の管理(management of violence)」と定義しました。

この「暴力の管理」に関する専門的な知識や技能の総体が軍事的プロフェッショナリズムと名付けられているのですが、これは軍事学の教育訓練、調査研究などを通じて客観的に把握することが可能な専門職としての能力であり、国家安全保障のためには、これを軍事組織の基盤として維持すべきだとハンチントンは論じていました。

しかし、時代とともに軍事情勢は刻々と変化していきます。国家間の戦争ではなく、非国家主体を相手にした非正規戦争が一般的になってくると、軍事的プロフェッショナリズムの内容も質的に変化して然るべきではないかという考え方も出されています。

著者はこのような議論があること踏まえつつ、将来の軍事的プロフェッショナリズムのあり方を考えようとしており、その方法としてイラク戦争におけるペトレイアスの働きを単一事例分析の要領で分析しています。

2007年2月の着任以降、ペトレイアスは米軍部隊のパトロールの方法を全面的に改め、車両を使わずに徒歩で地域のゲリラを捜索させることを決定した。徒歩で部隊が移動すれば、ゲリラの襲撃に対して脆弱性が増すが、現地の住民との接触の機会を増やし、関係の構築や情報の収集を行い、自警団を強化する上で大きな成果を上げたと評価されている(178頁)。

対反乱作戦を軽視する米軍の見解への批判

すでに対反乱作戦の研究においてペトレイアスが採用した民政支援や民心掌握を重視する対反乱作戦は分析の対象とされていますが、著者が関心を寄せている対象はペトレイアスの作戦や戦略ではなく、それらを導出する軍人としての専門的能力です。

著者はペトレイアスはイラクで多国籍軍の指揮をとることになる遥か前から、対反乱作戦に対する研究を独自に進めていたことを指摘しており、それが米軍の公式の見解と異なるものだったことを紹介しています。

まず、ペトレイアスは1986年に米陸軍のジャーナルである『パラメーターズ(Parameters)』で発表した論文「アメリカ軍とベトナムの教訓:ポスト・ベトナム時代における軍事的影響力と武力行使(The American military and the lessons of Vietnam: a study of military influence and the use of force in the post-Vietnam era)」において、ベトナム以降の米軍は「COIN(対反乱作戦)を避けるべきという教訓を得ながら、今後予期される紛争ではCOINに重点を置かなければならないというジレンマに置かれている」と述ています(同上、183頁)。

同様の問題意識は翌年にペトレイアスが提出した博士論文にも受け継がれており、そこでは米軍は将来の戦争が非正規戦争になることを見越し、対反乱作戦の準備を進めるべきという主張を展開しました(同上、183頁)。この主張に関連して、当時の米軍で掲げられていたワインバーガー・ドクトリンの妥当性も「戦争と平和の単純な二分法は非現実的」と批判しています(同上)。

著者はこれらの議論が当時の米軍で受け入れられなかったことに注意を促していますが、結果として米軍がイラクやアフガニスタンで直面することになる課題を先取りした独創的な研究だったことを評価しています(同上、187-8頁)。これはペトレイアスが次の戦争をいち早く見通し、情勢の変化に迅速に適応しようとしていたことを示しています。

論争を通じて検証可能性を担保する

しかし、著者はペトレイアスの個人的な資質だけに着目しているわけではありません。軍事的プロフェッショナリズムは個々人の能力だけに依存するものではなく、オープンな形で展開される論争があることも重要だと論じています。

ペトレイアスは自らの研究成果を、研究論文として発表することによって、陸軍の内外で論争を引き起こし、問題解決に向けて努力を指向させようとしました。当時、ペトレイアスの議論に対しては、賛成派ナーグル(John A. Nagl)や反対派ジェンタイル(Gian P. Gentile)が現れ、活発な論争が展開されたのですが、それが後の米軍の戦略思想の発展に貢献するものであったという観点から、次のように述べています(同上、188頁)。

「浮かんだアイデアを、自分の中で温めておくだけでは十分ではない。それを論文という形で発表し、磨き上げ、実践することがフリードマンのいう「状況を著しく改善させる手段を講じるために、多種多様な関係者を協働させる」こと、つまり広く社会を巻き込んで問題解決へと指向させることにも繋がるのである」(同上)

著者がここで述べているのは、ペトレイアスが検証の可能性を尊重する学問的な態度の重要性です。米軍が公式に示している立場を公然と批判するだけでなく、その批判の内容を研究として公表することによって、より広い検証可能性を担保しました。著者はこのペトレイアスの知的態度は、兵士の生命を預かる士官として、「あるべき姿勢といえるのではないだろうか」と述べています(同上)。

まとめ

ペトレイアスが実践した公式的見解への批判や、論文の公表による検証可能性の確保は、科学哲学の用語である反証可能性(Falsifiability)の重視と言い換えることができるかもしれません。

反証可能性とは、ある理論が間違いであることを証明できるという可能性を指しています。イギリスの哲学者カール・ポッパー(Karl Raimund Popper)の説によれば、反証可能性を備えていない理論は、もはや科学的な理論と見なすことはできないとされています。

この基準は軍事学の研究に対しても適用可能なものであり、軍事学の研究が科学としての水準を保てるかどうかは、ペトレイアスのように非公式な見解や、他者との論争に対してオープンな姿勢をとれるかどうかによって左右される問題でしょう。

単一事例分析だけでは一般化された結論を出すことはできませんが、組織の見解の妥当性を独自の観点で批判的に検証する能力や、自らの研究成果を容赦なく他者から批判に晒すことを厭わない公平な姿勢を身に着けることが、新時代の軍事的プロフェッショナリズムの特質である可能性は、注意深く検討すべき重要な仮説だと思います。

執筆:武内和人(twitter.com/Kazuto_Takeuchi