ブローディ

ブローディ

バーナード・ブローディ(Bernard Brodie, 1910年5月20日-1978年11月24日)はアメリカの政治学者であり、核戦略の基礎となる抑止の概念を戦略の研究に導入した功績で知られる。またクラウゼヴィッツの思想を見直し、その意義を紹介したことでも知られている。

経歴

アメリカのシカゴで、ロシア領ラトビアから移住したユダヤ系移民の家庭に生まれた。シカゴ大学に入学し、在学中に知り合った女性と1936年に結婚した。大学院で経済学者ジェイコブ・ヴァイナーに師事し、1940年に19世紀の海軍の技術革新が外交に与えた影響に関する研究で博士号を取得した。プリンストン大学で研究職に就き、最初の著作『機械化時代におけるシーパワー(Sea Power in the Machine Age)』(1941)を出版し、また『海軍戦略入門』(1942)も間もなく刊行している。1941年から1943年までダートマス大学で講師として「現代の戦争、戦略、国家政策」を担当した。

第二次世界大戦ではアメリカ海軍作戦本部で勤務することになり、戦艦に関する調査研究に従事していたが、戦争の末期に開発された原子爆弾のことを知り、直ちにその調査研究に取り組むようになった。『絶対兵器(The Absolute Weapons)』(1946)はその時期の成果を踏まえた研究である。イェール大学の国際関係研究所を経て、1951年からシンクタンクのランド研究所で勤務し始め、引き続き核戦略の研究に取り組んだ。1959年に『ミサイル時代の戦略(Strategy in Missile Age)』を出版し、核兵器の運搬手段としてミサイルが登場したことが戦略にどのような影響を及ぼすのかを考察している。その後も、ランド研究所の研究員として在籍している間に、核戦略や軍事技術に関する研究成果を残している。1966年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授に就任し、1977年まで教鞭をとった。1978年にロサンゼルスで死去した。

思想

もともと軍事学の研究は海軍戦略から出発している。『機械化時代におけるシーパワー(Seapower in the Machine Age)』(1941年)や『海軍戦略入門(Layman's Guide to Naval Strategy)』は技術と戦略の関係に対する関心が反映されていた。こうした研究で得られた成果が、その後の核兵器の戦略を研究する上で大いに役立っている。広島と長崎に対する原爆投下が実施されてからは、本格的に核兵器の問題について研究を始め、1946年には強大な破壊力を持つ核兵器が実戦使用されたことの重大性を指摘した。編著書『絶対兵器(Absolute Weapon)』(1946)では「今後の軍事機構の主要な目的は、戦争に勝つことではなく、戦争を避けることでなくてはならない」と主張し、抑止(deterrence)を主眼に置いた戦略思想の転換を主張し、政経中枢に対する戦略爆撃の手段として核兵器を捉える当時の戦略思想に反対した。

ブローディは核兵器の運搬手段が航空機からミサイルに移行していることを踏まえ、今後ますます核攻撃を防御することは技術的、戦術的に困難になると判断した。『ミサイル時代の戦略』(1959)ではドゥーエの戦略爆撃の思想を核兵器に応用することはできないと批判している。核兵器の運用では、戦争を政治の手段として位置付けることを第一に考え、戦争に「勝利」することを目指すべきではない、というのがブロディの立場であり、もし敵の都市部に対する核攻撃を先に行ったならば、それは制限のないエスカレーションをもたらし、全面的な核戦争に発展する恐れがあった。戦争に勝つことだけを考えれば、先に敵国に核攻撃を実施した方が軍事的に有利になるかもしれないが、そのような戦略を採用したことが相手国に知られれば、それは相手国にとって先制攻撃を行う強い誘因になる。結果として、軍事的緊張を高め、全面的な核戦争のリスクを大きくしてしまうことが問題だった。

その代替案として、敵の軍事目標に対する第二撃能力をより重視する核戦略に転換することを提案している。これは相手国から先制攻撃が行われたとしても、自国の核兵器がすべて撃破されることがないように、防護、分散の措置をとっておく戦略である。この戦略であれば、相手に先制攻撃の誘因を与えることはなく、また先制攻撃を実際に受けた際には核兵器で報復が可能であるため、より安定的な軍事的均衡を確保できると考えられた。少なくとも、核兵器の使用に踏み切ったとしても、それは直ちに全面戦争に突入することを意味せず、限定戦争の範囲に制限できる可能性が残されることになる。このような戦略を採用するとしても、政治が果たすべき役割が極めて大きいことには変わりないとブロディは強調している。

主著

ブローディの著書は核戦略の研究において重要な業績と見なされており、特に『ミサイル時代の戦略(Strategy in the Missile Age)』(1959)と『エスカレーションと核の選択(Escalation and the Nuclear Option)』(1966)、『クロスボウから水爆まで(From Crossbow to H-Bomb)』(1973)はよく知られている。いずれも日本語には翻訳されておらず、英語でしか読むことができない。