茅元儀

茅元儀

茅元儀(1594年 - 1640年)は明末に活動した中国の軍人、軍事学者である。中国の軍事学史においては著作『武備志』を編纂した事業で知られている。

経歴

帰安(現在の浙江呉興)の出身であり、字は止生という。政治家の家系に生まれ、幼少期から学問に励んでいた。軍事家だった祖父の茅坤(1512年8月31日-1601年12月22日)の影響で軍事学に興味を抱くようになった。祖父の死後に相続した蔵書を詳細に研究して、1621年に全240巻にもなる大著『武備志』を完成させた。これは当時としては最も総合的な軍事学の百科事典として高い評価を受け、その名は広く知られることになった。大学士の孫了宗に引き立てられ、遼東において戦争に従軍した。

その後、江南に赴任して水軍の強化で実績を積み上げたが、後ろ盾になっていた孫了宗が政界で権力を失ったため、茅も官職を取り上げられた。『武備志』を朝廷に献上するなどの復帰に努力したが、皇帝に対して傲慢であるとして地方に追放された。しかし、1629年に後金の侵攻を受けて孫承宗が呼び戻されると茅も軍務に復帰した。後金軍との戦闘で勝利を収めた両者の戦功は朝廷でも評価され、茅は副総兵として水軍の指揮官に任命されたが、中央では依然として茅の功績を妬んで中傷する者がいたため、遼東の戦局が悪化した際に茅が現地で戦いたいと願い出た際にも却下されている。最後は酒を浴びるように飲んで死去したとされる。

著作

茅元儀は数多くの著作を残したとされるが、禁書指定として処分されたものが多く、『武備志』は現存する数少ない貴重な業績である。それは曽公亮の著作『武経総要』の構成や内容を取り入れているが、当時としては最先端の研究成果である戚継光の『練兵実紀』などを取り入れる形で発展させているだけでなく、倭寇の研究にとっても価値ある史料だが、入手は困難である。