グランメゾン

グランメゾン

ルイ・ド・グランメゾン(Louis Loyseau de Grandmaison, 1861年1月21日 - 1915年2月18日)はフランスの陸軍軍人である。第一次世界大戦前のフランス軍において全面攻撃(Attaque à outrance)の思想を主張したことで知られている。

経歴・業績

グランメゾンは1881年にサンシールで陸軍士官候補生学校に入校し、1883年に歩兵科の少尉に任官した。

1892年に大尉に昇任すると、第一外国人連隊に配属され、フランスの植民地だった東南アジアのインドシナに派遣された。1896年にはフランスに帰国し、部隊での勤務を経て1898年にパリの陸軍大学校に入校した。ここで幕僚となるための教育課程を修了し、再び部隊長として勤務に戻ったが、1905年には陸軍省で対独戦のための作戦計画の立案に関与するようになった。1911年には参謀本部の作戦部長に就任し、同時に陸軍大学校で戦術学の教官として自らの軍事思想を学生に指導した。

グランメゾンの思想は攻撃戦闘を重視する立場にあり、旺盛な攻撃精神を発揮する銃剣突撃こそ敵に対して最も決定的な打撃を与えることができると主張した。将来の戦争は短期決戦になる可能性が高いため、消極的、受動的な姿勢をとれば、不利な態勢で戦うことになると懸念し、教範『攻撃戦闘のための歩兵訓練(dressage de l’infanterie en vue du combat offensif)』でも全面攻撃(Attaque à outrance)の原則を徹底させようとした。

1913年に対ドイツ戦を想定したフランス軍の作戦計画の立案にも参加し、その作戦指導綱領には「フランス陸軍は、その伝統に復帰し、攻勢以外の原則を認めない」という有名な文句を加えるなど、第一次世界大戦が勃発した当初のジョゼフ・ジョフル(Joseph Jacques Césaire Joffre)の作戦指導にも影響を及ぼした。1915年、ソワソン近郊の戦闘で戦死。

参考文献