兵站は軍事用語として何を意味しているのか

兵站は軍事用語として何を意味しているのか

2019年10月25日投稿

はじめに

兵站(logistics)の語源については、古代ギリシアで計算を意味するlogistikosという言葉に由来するという説と、近世のフランス陸軍で軍を舎営(logis)につかせることに由来するという説がありますが、はっきりとしていません。

しかし、18世紀の末までにはヨーロッパの軍事学の文献で定着しており、例えばフランスの軍人だったアントワーヌ・アンリ・ジョミニは後に『戦争術概論』という著作で、この兵站を軍事学の主要な研究領域の一部として位置づけています。

今回は、この用語が現在の日本、特に陸上自衛隊における意味を知るため、後方支援という用語との意味の違いを調べています。

『軍事学入門』では兵站を後方支援と置き換えて定義している

日本語で読める軍事学の教科書として『軍事学入門』は最もよく知られている文献ですので、まずはここで後方支援と兵站がどのように説明されているのかを紹介しましょう。その著者は防衛大学校教授の中垣秀夫一等陸佐(当時)です。

第5章「後方支援と軍事力」を読み進めると、まず「後方支援について説明する前に、これとほぼ同義語である兵站についてみてみよう」と前置きし、『広辞苑』を参照しながら次のような定義を示しています

  • 「作戦軍のために後方にあって、車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関」(308頁)。

また、著者は『大日本兵語辞典』も参照しており、そこでは兵站が機関ではなく、勤務として定義されていることを紹介しています。

  • 「野戦軍の作戦力を保持するに必要なる人馬物件の前送、作戦に必要なき人馬物件の後送、通行人馬の宿泊及び休養、野戦軍の背後連絡線の確保、民生等を包含する勤務」(同上)。

さらに英和辞典でLogisticsの意味についても調べており、そこでは以下のように述べられています。

  • 「兵站業、調達、貯蔵、輸送、宿営、糧食、交付及び人員・機材・補給品の護送などの業務」(同上)。

これらの定義を総合した上で、著者は「後方支援とは、作戦部隊の後方にあって、作戦を支援する機能で、補給・整備・交通・衛生などを含み、これらの機能が統合されて後方支援の機能が発揮されているのである」と論じています(同上)。

しかし、兵站という用語は陸上自衛隊で使用されているものであり、海上自衛隊や航空自衛隊では後方あるいはロジスティックという用語は海自や空自で使用されているとも紹介しています。

ところが『防衛用語辞典』では異なる定義が与えられている

この問題を示すために『防衛用語辞典』を参照します。これは法令、官報、白書、広報、通達、教育参考資料、解説書、年鑑、学術文献、軍事関係の文献などを参照して編集された用語集であり、それぞれの用語について陸海空各自衛隊の定義だけでなく、旧陸海軍、北大西洋条約機構の定義についても示されています。

この文献は先ほどの著者よりもさらに軍事用語の定義が多角的、包括的に調査されているだけでなく、陸海空各自衛隊に固有の用語も収録されているという利点があります。

この文献で後方支援の定義を調べてみると、そもそも自衛隊には後方支援という用語とは別に「後方」という用語が存在しており、その意味が陸海空各自衛隊で微妙に異なっていることに気がつきます。以下に陸海空各自衛隊に加えて統合幕僚監部と共通して使用されている定義を示します。

後方 logistics

  • 陸海空統1 防衛力の造成、維持、発揮に必要な人員、施設、装備品等を準備し、提供すること、およびこれに関連する諸活動を総称していう。

  • 陸海空統2 陸上自衛隊では人事、兵站等を総称していう。

  • 陸海空統3 海上自衛隊では、後方の機能を人事、教育、管理、補給、輸送、整備造修、基地開発、衛生、サルベージに区分している。

  • 陸海空統4 航空自衛隊では狭義の概念で使用する場合には、整備、補給、調達、輸送、施設の諸活動を総称していう。

ここで注目すべきは、陸自において後方が「人事・兵站等を総称」すると説明されている点で、これを踏まえれば後方に対して兵站は下位概念として位置付けられることになります。

さらに陸自における後方の定義の詳細を調べると、「通常、後方補給と人事及び行政管理が含まれ」、「狭義には「後方補給」と同義である」とも述べられています。

ここで、「後方補給」とは何かいう疑問が生じてきます。同じ文献で調べると、陸自でのみ使用されている用語で、定義は次のように述べられています。

後方補給 logistics

  • 「後方」から人事の機能を除いたものをいう。

先ほど「後方」は「人事・兵站等」の総称とされていることから考えると、後方補給は兵站と同じ意味と理解することが可能です。

以上を踏まえた上で兵站の定義を調べると次のように述べられています。

兵站 logistics

  • 陸統 部隊の戦闘力を維持増進して作戦を支援する機能であって、補給、整備、回収、交通、衛生、建設、不動産および労務、役務等を総称していう。

先ほどの後方の説明と照らし合わせると、兵站は後方と異なり「作戦の支援のための機能」として範囲が限定されていることが分かります。また、具体的な業務の範囲は後方と同じく広範かつ多岐にわたっていますが、後方が軍事行政と密接な関係を持つ人事を含んでいたのに対して、それを除外している点も兵站という領域の限界を理解する上で重要な点になるでしょう。

むすびにかえて

一般の辞典を見ても、兵站という軍事用語の説明には多少の混乱があるのですが、上述したような複雑な用語の整理が行われたことが関係しているものと考えられます。

また、歴史的背景として、logisticsを日本の軍事用語として受容する際に戦前の日本陸軍が兵站、日本海軍が戦務と別の訳語を使ったこと、また戦後に自衛隊で後方という統一化された訳語が使われ始めてからも、陸自において後方補給、さらに兵站をlogisticsの意味で使い続けたことなどが、こうした事態をもたらしたのかもしれません。

『軍事学入門』と『防衛用語辞典』はいずれも日本語の資料としては有名ですが、兵站の説明に関して両者の内容に若干の食い違いが見られるのは、『軍事学入門』が学問的な定義を確立しようと目指しているのに対して、『防衛用語辞典』は組織で使用されている定義に沿って用語を整理しているためであり、どちらが間違っているという基準で判断することはできないでしょう。

武内和人(Twitterアカウントnoteアカウント


(補足:『軍事学入門』では兵站を後方支援と置き換えて使うことができる用語であるように議論を展開していますが、後方支援は英語のcombat service supportと対応する用語であるため、直ちにlogisticsと対応する用語と見なすと混乱が生じるでしょう。ただし、『防衛用語辞典』における後方支援の定義を見ると、「作戦部隊に対して、所要の人員、資材、設備及び役務等を提供することをいう。人事及び兵站支援を合わせ、或いは更に部外連絡協力、後方及び会計を含めて総称する場合がある」とも述べられており、整理が難しい用語であることも確かです)


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参考文献