いかにして予備役将校訓練課程(ROTC)という教育制度は発達してきたのか

いかにして予備役将校訓練課程(ROTC)という教育制度は発達してきたのか

2020年7月21日

予備役将校訓練課程(Reserve Officers Training Corps, ROTC)とは、アメリカで高等教育を担う大学、それも国防総省が設置している士官学校ではなく、州立や私立の一般大学に置かれた教育課程であり、士官になるための基礎的な教育訓練を実施しています。

これはアメリカ軍が士官としての能力を備えた人材を安定的に確保するために発展させてきたユニークな教育制度であり、その歴史は19世紀にまでさかのぼることができます。今回は、このROTCの制度がどのような歴史を経て発展してきたのかを説明してみたいと思います。

オルデン・パートリッジ(1785~1854)米陸軍軍人、軍事教育家。私立の軍事大学を創設し、民間における軍事教育の礎を築いた。

パートリッジが構想した民間の軍事大学

ROTCを構想として発展させたのは、アメリカにおける軍事教育の先駆者オルデン・パートリッジ(1785~1854)という軍人でした。彼は1802年にダートマス大学に入学しましたが、陸軍へ進路を変更し、1805年に陸軍士官学校へ入っています。

1806年に教育課程を修了して任官を果たし、工兵科士官となりました。しかし、パートリッジは教官として学校にとどまることになります。数学の教官でしたが、次第に軍事教育への関心を深めていきました。しかし、ある人事問題をめぐって新任の上官の命令に従うことを拒んだため、軍法会議にかけられてしまい、1818年に陸軍を去ることを余儀なくされています。

その後、パートリッジは民間人に専門的な軍事教育を行う私立の軍事大学を設置する活動を始めました。この活動は1819年にバーモント州で設置された「アメリカ文学・科学・軍事大学(American Literary, Scientific, and Military Academy)」として実を結びます。

これはアメリカ史において最も古い私立の軍事大学であり、現在はノーリッチ大学として知られている大学です。パートリッジはここで文学、語学、工学の教育と軍事学の教育を組み合わせた新しい大学教育のモデルを発展させ、軍隊の外部で将来の士官を養成するための軍事教育の先駆者となりました。

近代的な予備役将校訓練課程への移行

パートリッジは大学で学生に軍事教育を受けさせる仕組みを導入しましたが、これはまだ一部の大学でしか行われていない取り組みでした。しかし、1862年のモリル・ランドグラント法(Morrill Land-Grant Acts)をきっかけとして、各地の大学で軍事教育が実施されるようになっていきます。

このモリル・ランドグラント法は当時のアメリカで産業的価値が大きいとされていた農学と工学の教育を支援する州(および準州)に対し、連邦政府がインディアンとの戦争で獲得した土地を配分することを目的としており、その効果によって各地に農学や工学を教育する大学が整備されていきました。あくまでもこの法律の目的は産業の振興に繋がる農学教育、工学教育の普及にあったのですが、法案成立当時は南北戦争(1861~1865)の最中だったこともあり、連邦政府は土地を与えた大学に戦争協力を求め、学内で軍事教育を実施することを条件としています。これ以降、各地の大学ではパートリッジのモデルを取り入れ、軍事訓練が開始されました。この制度は戦争が終結してからも続いており、20世紀初頭までには42か所の大学で軍事学が教えられていました。

しかし、より近代的な意味での予備役将校訓練課程は1916年に制定された国防法(National Defense Act)によって確立されたと言えます。第一次世界大戦(1914~1918)にアメリカが参戦することを決めたため、陸軍はそれまで一般大学で実施されていた軍事教育を統一的に管理する措置をとりました。これによって予備役将校訓練課程は大幅に拡充されることになります。1919年から1920年までの間に大学で教育訓練を受けた学生の数は5万7282名になり、133名が士官に任官しました。翌年になると5万4000名以上の学生が教育訓練を受け、934名の士官が任官しています。ROTCを経験した学生はその後も増え続け、戦間期に予備役の士官となった者の過半数がROTCの出身者で占められたほどです。

アメリカは孤立主義の政策を採用していたため、その軍備も最小限度の規模に抑制されていましたが、それは正規軍の規模を抑制しているにすぎず、予備役の士官は多数養成されていました。そのため、1941年にアメリカが第二次世界大戦に参戦することを決めた際にも、短い期間で部隊を増強することができました。

現代の予備役将校訓練課程の状況

戦後、アメリカでは復員を進めましたが、ソ連の脅威が認識されるにつれて、ROTCを引き続き制度として整える必要があると考えられるようになりました。特に1950年の朝鮮戦争の勃発が与えた影響は大きく、陸軍は1950年代にROTCで毎年2万名の士官を確保していました。

これほどの実績を積み上げてきたROTCは、もはや軍隊にとって不可欠な教育制度となっており、1964年のROTC活性化法(ROTC Vitalization Act)ではROTCが予備役だけでなく、現役の士官を養成する教育制度として再定義されることが決まりました。ROTCに在籍する学生に奨学金が給付されるようになったのも、この法律が根拠となっています。

ところが、1969年にアメリカで選抜徴兵が始まると、ROTCに対する学生の関心は衰え始めました。1972年に女性の受け入れを始めましたが、1973年にアメリカ軍が徴兵制を廃止してからROTCに登録する学生が急減してしまいました。

ROTCを軍事教育制度として改革するため、1986年に士官候補生総隊(Cadet Command)が新たに設置されました。教育指導の基準を標準化し、サマーキャンプの訓練内容を充実させ、候補生の資質を測定する方法も見直し、その教育訓練の効率を向上させることができました。士官候補生に海外留学の機会を与え、異文化への理解を深めさせるといった取り組みも、成果を上げており、現在でも教育訓練の内容や手法については調査研究が続けられています。

執筆:武内和人(Twitterアカウント)

文献案内

  • Arthur T. Coumbe, Lee S. Harford, and Paul N. Kotakis, U.S. Army Cadet Command, Stillwater: New Forums Press, 2010. 米陸軍士官候補生総隊の歴史をまとめた著作。制度的な変化だけでなく、教育訓練の内容についても取り扱われています。