マハン

マハン

アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred T. Mahan 1840年9月27日-1914年12月1日)は、アメリカ海軍軍人である。ジョミニの思想に影響を受け、その戦略理論を用いて海軍の運用を分析した功績で知られている。

経歴

1840年、ニューヨーク州ウェストポイントで生まれる。12歳の時に神学校に入校し、1854年にコロンビア大学に入学したが、2年後に退学した。その後、海軍に入隊することを決意する。1859年に海軍兵学校を卒業し、南北戦争にも従軍した。しかし、マハンは艦艇勤務にあまり興味を感じることがなかったようで、南北戦争が終結し、陸上勤務に就くようになってからは、次第に海軍史の研究に力を入れるようになった。1883年に最初の著作『湾と内水(The Gulf and Inland Warters)』を出したことが業績として認められ、1885年に海軍大学校の教官として軍事史と戦術学を教えることになった。そこでの講義録をまとめて1890年に『海上権力史論(The Influence of sea Power upon History, 1660-1783)』を刊行すると、アメリカよりもイギリスにおいて注目を集めることになった。1896年に海軍を退役してからは著述に専念するようになり、海軍に関する論考や著作を数多く残している。1914年にワシントン市で死去した。

思想

軍事学史におけるマハンの貢献は、政策、戦略のレベルで海軍の運用を歴史的、体系的に分析したことである。シーパワー(seapower)という概念は、あまり明確な定義をもたない概念だったが、地政学的な観点から海上を支配する意義を多くの人々に印象付け、また近代戦における海軍の戦略的な役割を再認識させることに寄与した。注目すべきは、ジョミニが陸上作戦を想定して編み出した原則を海上作戦の分野に応用したことであり、これは軍事学の理論体系を海軍の領域に拡張する初期の試みだった。

ただし、マハンのすべての議論が学界で受け入れられたわけではない。例えばマハンは戦力を集中すべきという戦略上の原則に依拠しながら、艦隊決戦の重要性を繰り返し主張しており、そのことが着上陸侵攻のような水陸両用作戦、勢力投射の軽視に繋がったという批判も出されている(例えば、学説紹介 戦力投射を軽視したマハン―着上陸作戦は海軍の本来の任務なのか―を参照)。


主著

数多くあるマハンの著作で最も歴史的に重要な業績は『海上権力史論』であり、これはアメリカよりもむしろイギリスや日本で多くの読者を獲得した。海軍戦略の研究としては、海軍大学校の教官だった頃の講義録をまとめた『海軍戦略』も重要であり、これら二つの文献が初心者にとっては出発点となる。また近年ではマハンの著作から重要なポイントを抽出し、参考資料としてまとめた『マハン海戦論』のような文献も出版されているため、併せて紹介する。

  • アルフレッド・セイヤー・マハン『マハン海上権力史論』北村謙一訳、原書房、2008年

  • アルフレッド・T・マハン『海軍戦略』井伊順彦訳、 戸高一成訳、中央公論新社、2005年

  • アルフレッド・セイヤー・マハン『マハン海戦論』矢吹啓訳、原書房、2017年