ワイリー

ワイリー

ジョセフ・ワイリー(Joseph Caldwell Wylie, Jr. 1911年3月3日 – 1993年1月29日)はアメリカの海軍軍人である。戦闘艦艇に情報処理の中枢を整備することを提唱し、「計算されたリスク」という概念を軍事計画に導入した業績などで知られている。

経歴・業績

ニュージャージー州の出身。1932年にアナポリスの海軍士官学校を卒業し、アジア艦隊の巡洋艦オーガスタに配属された。それから複数の艦艇勤務や海軍士官学校の行政業務を経験し、第二次世界大戦では太平洋方面で日本海軍に対する作戦に参加することになった。1942年に駆逐艦フレッチャーの副長に就任し、第二次ガダルカナル沖海戦で日本海軍の戦艦「比叡」を含む3隻を沈めるという戦果を上げることに貢献した。この一連の交戦でワイリーは艦橋に隣接する海図室に水上レーダーの情報を集約し、砲術長と水雷長と緊密に連絡を取り合いながら砲雷撃を管制する手法を考案した。この功績からワイリーに勲章が授与され、1943年に駆逐艦トレヴァーの艦長に就任した。ワイリーの戦果を受けて、太平洋艦隊司令部はワイリーを研究調査に従事させることを決定し、1943年にハワイに移った。間もなくワイリーは史上初の戦闘情報センター(Combat Information Center, CIC)の設計案を含む『駆逐艦のためのCICハンドブック』を書き上げた。これ以降、ワイリーはその研究・教育能力の高さが評価されることになり、1943年から学校で戦術の教育に短期間従事した。その後、駆逐艦オルトの艦長に就任し、対日作戦に参加した。1948年に海軍大学校に研究生として入校し、朝鮮戦争が勃発した1950年には戦略学の教官に就任することを命じられた。

教官としてワイリーは海軍戦略や軍事計画の研究に取り組んだ。論文「太平洋戦争を振り返る(Refrection on the War in the Pacific)」(1951)では戦略を分析する際に、順次戦略(sequential strategy)と累積戦略(cumulative strategy)を区別することの重要性を述べた。順次戦略は過去に生じた状況を踏まえて、将来に起こる状況を操作しようとする戦略であり、ある地点から別の地点に向けて部隊を前進させる通常の作戦行動はこの戦略で扱われる。累積戦略は心理戦や通商破壊のように以前に起きた状況に基づいて次の行動がとられるわけではない作戦行動が扱われる。それぞれの作戦行動の効果は独立しているが、戦争の推移に長期的な影響を及ぼすことができる。太平洋戦争においてアメリカ海軍の作戦を分析する場合、ワイリーは潜水艦による通商破壊は日本経済に打撃を与える累積戦略として重要な意味があったことを強調しており、太平洋戦域で部隊を東から西へと前進させ、最終的に日本に到達した順次戦略だけに注目しないように論じている。

また論文「リスクの計算(The Calculation of Risk)」(1953)では確率の概念に基づく決定理論を提唱している。それによれば、戦闘状況における意思決定に依拠すべき判断基準は式の形で示すことが可能である。戦闘で勝利した時に獲得される戦果をXとし、失敗した時に受ける被害をYとした場合、リスクRを計算するためにはR=X/Yの式を解けばよい。そもそも戦闘を挑むべきかどうかの判断基準については、X≦0かどうかで判定することが可能であり、X>1である場合にのみ戦闘を挑むべきなどと論じられている。ワイリーは軍事的な意思決定に関連する要素を安易に数値化する危険性についても指摘し、数値化は判断力を低下させ、有形要素に対して無形要素を軽視することに繋がると警告している。

さらにワイリーの業績として最も重要なものに包括的な戦略理論を提唱したことがあり、これは陸海空軍といった軍種に制約されない統合された戦略理論の研究に寄与した。ワイリーは既存の戦略理論を大陸戦略、海洋戦略、航空戦略、革命戦略の4系統に大別し、それぞれに共通する要素を抽出しようとした。そして、いずれの戦略理論においても重要なのは、我が意図した程度において敵を統制(control)することだと指摘し、我にとって有利に敵を統制するためには、戦いの重心を動かすことで最も有利な戦争の形態に持ち込むことが重要だと考えた。ここで述べている重心はもともとクラウゼヴィッツの研究において使われていた用語だが、ワイリーの功績は統合された戦略理論を構築するために、それを戦略理論の中心概念として再定義したことである。この成果は1967年にラトガーズ大学出版局から『軍事戦略(Military Strategy)』として刊行され、高い評価を受けた。

ワイリーは海軍大学校の副校長を3度にわたって務め、アメリカ海軍における戦略理論の研究に貢献した。また、1965年にドミニカで内乱が発生した際には、大西洋艦隊副司令官として作戦に参加した。1972年に現役を退き、ポーツマスで死去した。著作『軍事戦略』は翻訳されており、他の海軍戦略に関する論文とともに収録された訳書が2019年現在も入手が可能だが、同書に「リスクの計算」は含まれていない。

  • J.C. ワイリー『戦略論の原点:軍事戦略入門』奧山真司訳、芙蓉書房出版、2007年(2010年普及版)